ランニングに関するあれこれ。 - Issue #24
私がコーチングしている方々に、毎週の振り返りや今後のステップをまとめたメールをお送りしています。その中で、毎回一つ、ランニングに関するトピックを取り上げています。この「ランニングに関するあれこれ」は、過去に取り上げたトピックからピックアップしたものです。
今回のトピックは「負の有酸素デカップリング」についてです。
近年、UTMBの競技レベルが向上し、専業のランナーでなければ優勝を目指すのが容易ではない状況になってきました。しかし、今年はフルタイムの仕事を持つVincent Bouillardが優勝を果たしました。
Vincent BouillardがUTMBに向けてどのように準備をしてきたかについては、以下の詳細な記事で紹介されています。
参考文献: How to Win UTMB with a Full-Time Job
トレーニング負荷の管理
彼のトレーニングは、ピリオダイゼーションを取り入れ、漸進的に負荷を増加させること、高強度と低強度の負荷のバランスを適切に取ること、リカバリーを重視することなど、現代の標準的なトレーニング理論に基づいています。
一方で特徴的なのは、期間あたりに必要な負荷を測る際に、距離ではなく「トレーニングロード」を用いている点です。
一般に「トレーニングロード」とは、運動やトレーニングによる体への負荷を数値化した指標です。運動の強度(心拍数やパワー)と時間を組み合わせて算出され、トレーニングの疲労や回復のバランスを管理するために使われます。種目ごとの負荷を比較できるため、クロストレーニングにも便利です。
彼が使用するCorosのGPSウォッチにはトレーニングロードを算出する機能があります。Corosの「トレーニングロード」は、心拍数やランニングパワーなどのデータを元に算出される独自の指標です。短期(最近の負荷)と長期(蓄積された負荷)を比較して、トレーニングが過剰か不足かを示したり、最適なトレーニングレベルを提案する機能を備えています。
一方で、Corosのトレーニングロードの指標は信頼性が必ずしも高くないと考えられています。とりわけ、山岳地帯では心拍数やペースが急激に変化するため、アルゴリズムが負荷を正確に反映できない場合があるとユーザーやコミュニティの間で指摘されています。
それにもかかわらず、Vincentがこの指標を用いている点は興味深いです。
上りや下りでは、平地と異なりペースと負荷が比例しないため、彼はトレーニングロードを利用することで、距離や累積標高、ランやバイクなど異なる種目の負荷を統合的に計測しているようです。
レース中の心拍データ
また、彼がUTMBを走った際のデータも公開されています。以下の図が示す通り、タイムではなくパワーを基準にイーブンペースで走るというレースプランを、予定通り進めました。
この点について、X(旧Twitter)では興味深い議論が行われています。
参考文献: Xにおける議論のスレッド
スレッドの投稿主は、パワーが均一に保たれているにもかかわらず、心拍数が徐々に低下していることに注目し、その理由を探っています。
通常であれば、運動強度が一定であれば、心拍数は同じか徐々に上昇する(いわゆる『心拍ドリフト』)と考えられます。一方で、Vincent Bouillardのデータではこれと逆の現象が見られました。この理由についていくつかの仮説が出されていますが、そのひとつが『負の有酸素デカップリング』と呼ばれる現象です。
参考文献: 負の有酸素デカップリング
「負の有酸素デカップリング」とは、一定のパワーで運動しているにもかかわらず、心拍数(HR)が下がる現象を指します。特に、長時間に及ぶレースや運動中に見られることがあります。
以下にこの現象についての説明をまとめます。
負の有酸素デカップリング:
通常の有酸素デカップリング: 一定のパワーで運動していると、心拍数が上昇するのが一般的です。これは体が運動の強度に適応しているためです。
負の有酸素デカップリング: 一定のパワーを維持しているにもかかわらず、心拍数が下がる現象です。これは通常、体が極度に疲労しているか、運動強度が低下している場合に見られます。
長時間のレースにおける変化:
例えば、UTMB(ウルトラトレイル・デュ・モンブラン)などの20時間に及ぶレースでは、パワーが安定していても、心拍数が低下することがあります。これは体が極度の疲労に対処し、心拍数を下げることで心臓の負担を軽減しようとしている可能性があります。また、長時間の運動では、パフォーマンスが低下してもパワーが一定に保たれ、心拍数が低くなることが観察されます。
このスレッドでは、その他の原因についても議論が進んでおり、非常に興味深い内容です。
Vincent Bouillardの成功は、限られた時間の中で効率的にトレーニングを行う重要性を示しています。トレーニング負荷の管理やデータ活用は、アマチュアランナーにも多くのヒントを提供しています。